早速、森見登美彦さんの、
『夜は短し歩けよ乙女』を買ってきた。
まあ、あれだよね、
こうして原作があるのを舞台化するってのは、
きっと大変なんだろうな。
人間ていうのは情報収集の85%近くを視覚に依存している。
で、「本」っつーのは、つまるところその情報もテキストのみという、
極めて特殊な条件の下で成立している媒体なわけだ。
「成立している」っていうのは、
要するに読む側の想像力に「依存している」ってこと。
テキストだけここにあるから後は勝手に自分で世界を描いてくれ、
というのがこの「本」という媒体なわけだから、
当然のことながらそれを読む人間の数だけ描いている世界があるってことになる。
だから全く同じ世界はひとつとして、ない。
つまり、『夜は短し歩けよ乙女』の原作を読んだ人が1000人いれば、
舞台化される前に既に1000種類の『夜は短し歩けよ乙女』の物語があるってことだ。
そんなものを舞台化して改めてテキスト情報以外を与えるわけだから、
「ん〜、こんなんじゃない」とか「違うんだよなぁ・・・」なんてことが、
当然のごとくおこってくるわけなのです。
でも、これは仕方がない┐(´ー`)┌
そんなことを気にしていたんじゃ、
「原作ありき」の芝居なんかできたもんじゃない。
だからいいんですよ。
東憲司は東憲司の
『夜は短し歩けよ乙女』をやれば
模倣でもなく阿ることもなく、
誰のものでもない、誰にもできない、「東憲司の世界」を堂々とやればいいんです。
って、んなこと僕がお節介がましく今さら言うことでもないんですが、
本当に僕はそう思っていますね。
僕が観劇に先立って原作を読まなかったのは、
だからそういった「違和感」とか「相違」を気にしたからではない。
今まで東さんの作品はずっとそうだったから、
結局今回も観てから読むことにしただけ。
劇団桟敷童子の本公演でもプロデュース公演でも、
いつもぶっつけ本番で観てきた。
今後、ひょとしたら僕が既に読んだことがある作品が、
東憲司の手によって舞台化されることがあるかもしれない。
当然、僕がその原作を読むことで描いた世界と、
東さんが紡ぎ出す世界は違うこともあるだろう。
でも、だからいいんだ、と思う。
その違いこそが楽しいんだと思う。
そしてもっと言わせてもらうなら、
たとえ今回の『夜は短し歩けよ乙女』の舞台が、
原作を読んだときに自分が描いた世界と違って、
ちょっとビミョーな気持ちになった人がいたとしても、
それだけで演出家・東憲司という人を判断しないほうがいい。
それは、もったいないことです^^;
東憲司という人が持つ力は計り知れない・・・
もしまだ劇団桟敷童子の芝居を見たことがないのだったら、
本公演を観ることを強く強くおすすめする。
あっ、ちょうどいい、
もうすぐ
第20回本公演 『ふうふうの神様』
があるじゃないか^^;
まっ気が向いたら当日券でも・・・
なんて言ってると観られないかも、よ。
気をつけなせぇ 気をつけなせぇ・・・・・
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